「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天の私の父 も、あなたがたに、このようになさるのです」マタイ18:35  

王がAに6000億を貸していた。清算の時が来たが、Aは返済不能で、ひたすら懇願するので、王はかわいそうに思い、赦してやった。そして6000億の借金を全額免除にした。そのAが出て行くと、Bに出会った。AはBに100万貸していた。ところがBも100万を返済できず、Aに懇願した。返すから、もう少し待ってくれと。しかしAは赦さず、Bを牢に投げ入れた。

 

心を痛めた仲間たちは、事の次第を王に報告した。すると、王は怒って、Aを借金を全額返すまで、投獄した。せっかく免除された借金が、自分に負債のある者を赦さなかったばかりに、また返って来た。免除された6000億は、そのままでなく、王が肩代わりし、その負債を負う事になるのだ。

 

何という王のあわれみだろう。測り知れない莫大なあわれみを受けているのに、人をあわれむ事ができない。どこまでも自己中心で、これが人間の姿であり、罪の性質だ。自分は神に赦されているのに、人を赦す事ができない。

 

二つの道がある。決して自分を変えないで、そういうものだと、誰でもそうだと、根に恨みと憎しみを持ったまま生きて行くか。 そうではなく、自分が変えられて、神に喜ばれる道、栄光が現わされる道へ向かうか。今、岐路に立っているだろうか。自分にはできない。しかし、神には可能だ。神は赦す力を与えて下さる。このままか、新たに信仰に前進するのか。選択にかかっている。

 

------------湧き上がる怒りで相手ばかりを見るのではなく、主は何と言われているかに自分の心を合わせていきたい。自分も莫大な負債を払いきれない者で、限りなく赦されている。