「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ち た種があった。すると鳥が来て食べてしまった」マタイ13:4

聖書に「御言葉を実行する人になれ」とあり、ただ聞くだけなら自分を欺いていると。聞いた御言葉を実行する時に初めて実を結ぶ。実行しないなら実を結ぶ事はない。実行して実を結ぶために、まず聞き方が大切だ。人に踏み固められた「道ばた」は、心固く、物理的には聞いているが、他人事のように聞き、自分の事として聞かない。

 

自分は棚上げで、あの人が聞けばよかった、この人にぴったり・・。傍観者で、自分への言葉として受け取らないので、心に入る事がない。種をはじき返してしまう。又、この御言葉はもう知っている、何度も聞いた、との態度で聞く時も心に入らない。サタンが御言葉を奪ってしまう。私たちの聞き方はどうだろう。

 

他の事を考えながら聞いても、右から左へと何も残らず流れてしまう。何も入っていない。サタンの妨害だ。自分の思いでいっぱいにし、御言葉を入れさせない。よく祈り、自分の事として聞く時に、御霊の助けのもと、心に入って来る。自分のすべてが「道ばた」なのでなく、自分のある部分が「道ばた」の事もある。

 

その部分だけ受けつけない。人を赦す事、自分を捨てる事、献げる事、悪習慣をやめる事・・聞きたくない部分をスルーしてしまう。無意識かも知れない。豊かな実を結ぶために、成長して行くためにも、道ばたになっている部分が無いか、御霊に、探り照らしていただこう。

 

--------------御言葉を受け入れる前にはじいてしまう自分の障害はなんだろう。種を見ているだけでは命を感じることはできない。御言葉を素直に受け取ろう。耕された土になりたい。