「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時 がある」伝道3:1 

起こるすべての事に「神の時」があり、そして神のみわざは、時にかなって美しい。「かなう」とは「ぴったり合う」「適合する」「丁度当てはまる」であり「時にかなって」とは「ちょうど良い時」「ピッタリな時」「ジャストタイミング」だ。「美しい」とは。「調和がとれていて快適に感じられるさま」であり、「人に感動を与えるさま」だ。

 

主のみわざはピッタリのタイミングで、秩序と調和があり、人に感動を与える。ハマンにより、ユダヤ人絶滅の悪巧みがなされた際、そこにピッタリのタイミングでエステルがいた。王に救いを願う事は、エステルだけにしか、他の誰もできないことだった。そしてエステルは命がけで従順に従った。自分にできることをした。結果ユダヤ民族は救われた。

 

飢饉で、祖国を出て異国の地に移ったナオミが、帰国を決意した時、ルツもつき従った。それが丁度、大麦の刈り入れの時期だった。落ち穂拾いという生計の手段が備えられていた。又、はからずもボアズの畑であった。選んだわけではなく、たまたま足を踏み入れた畑だった。そして丁度その時、ボアズが現れた。

 

まさに主のなさる事は、時にかなっている。神に従い、故郷を捨て、異国の地に来たルツは、豊かに報いられ、ボアズとの結婚が備えられていた。神の時に、ふさわしい事をされる。それは美しい。今はわからずとも、いつか必ず「美しい」ことが判明する。信じていよう。

 

--------------振り返ってみれば神の時は、神ご自身の栄光をはっきりと表され、秩序と調和の中に美しくある。神の時は動かず時がくれば必ずふさわしい事をされる。神の時を悟れるように祈ろう。