「あなたが数の多い民であるなら・・森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから」ヨシュア17:15

約束の地カナンにおいて、各部族がくじを引き、相続地が割り当てられた。しかしその地は、戦って開拓して行かねばならない。ところがヨセフ族に不満が起きた。 彼らは、主により大きな民になったのに、一つのくじで一つの割り当て地しか得ていないと。「なぜ、一つの割り当て地しか貰えないのか」自分たちは、大部族で、大きな土地が必要だと思った。

 

するとヨシュアは山地も自分たちのものとせよと。すると彼らは、カナン人は鉄の戦車を持ち、強いから到底無理だと。ヨシュアは、敵が幾ら強いとしても、戦って勝ち取れと。彼らの問題は、戦う事を恐れている事であった。戦って勝ち取ろうとはせずに、ただただ現状に愚痴、不平不満を言うのみだ。

 

私たちはどうだろう。主によって割り当て地が与えられている。家族、仕事、対人関係、今の場所、賜物、能力・・。その今の場に、ヨセフ族のように不満ばかりだろうか。鉄の戦車が立ちはだかり、難しい状況が色々あるかも知れない。今の環境が自分の思いとは異なり、嫌でたまらないかも知れない。しかしヨセフ族と同様に、私たちもそれぞれ主から与えられた地だ。

 

主は、それらを祈りつつ、御霊の示しに従い、主のために用い、栄光を現して行く事を願っておられる。山地をもあなたのものとせよと。信仰に立つ時に、主が戦って下さり、更に恵みを増し加えて下さる。不満でなく、主に導かれ、なすべき事をして行こう。必ず主の助けがある。

 

・・・・・・・・・・・・今の環境が嫌で、目の前の状況が嫌で、との思いに支配されてしまう時、何の祝福も見えない。不平不満、愚痴だけだ。しかし状況の背後で、支配し、ご計画を持っておられる主を見る時に、見方が変わる。今、置かれた場で、主の栄光のために用いられたい。