「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、 あるものは三十倍の実を結んだ」マタイ13:8

御言葉は種で、土地は私たちの心だ。同じように神の言葉を聞くも、全く益を受けない人々がいる。それは心の問題だと言っている。右から左に抜ける、心に留めないままに聞く。特に関心も持たず、本音では自分とは無関係だと思っている。傍観者的態度で聞く。他人事だ。

 

はなから従う気も無く、従おうと思っていない。それなら悪魔が種を奪うので、聞かなかった事と同じだ。心に何の跡も残さない。又、岩地に落ちるとは、聞く時は、感情的に聞くので、主の十字架に深く感動し、涙を流す。しかし心の中には、自我という強固な岩があって、御言葉が根ざす事を邪魔する。ガチガチの自我だ。それで、信仰ゆえの迫害や、試練が来ると根が無いので、すぐに枯れてしまう。

 

御言葉を涙して感情的に聞くだけでは、根ざす事ができない。御言葉に従い、御言葉を行って行くことが大切だ。その時に岩である自我が砕かれて行く。又、いばらは、御言葉を塞いでしまう。せっかく伸びようとする芽を、塞いで枯らす。世の楽しみ、様々な自分で良いと思う計画は、せっかく芽生えた信仰をふさぐ。

 

心で握っているもの、密かに愛する偶像は、神から私たちを離してしまう。優先順位の問題だ。何が第一になっているだろう。自分は大丈夫と思っているが、いつしか一番大切なものを見失って行く。自らの状態をよく点検する事は大切だ。実を結ぶかどうかが、聞き方にかかっている。

 

--------------自分はどうだろう。御言葉を頭で信じて従っているつもりだろうか、それとも出来ないと右から左に流しているか。従えない弱さのままで主に行き一歩踏み出してみよう。