「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい・・自分の宝は天に たくわえなさい」マタイ6:19

「宝」とは富、金銭に限らない。名誉、地位、能力、人の評価、人の称賛・・、とにかく、その人にとって非常に重要な大切なものの事だ。命ほどに大事なものだ。そして、財産、富、栄誉、称賛、能力、それ自体は別に悪いものではない。決して罪でも悪でもない。しかし、主はそれらを拠り所とし、それに頼り、依存し、人生の判断基準とするなと言われる。

 

「自分の宝は、天にたくわえよ」地上のものに執着するのでなく、神に望みを置き、天国とそこでの素晴らしい報いに望みを置くようにと。その理由は、「虫とさびで、傷物になり」地の宝は虫やさびでだめになり、朽ちてしまう。上等の大切な衣服が、虫に食われてしまった経験があるだろう。地の物は虚しい。

 

そして「盗人が穴をあけて盗み」名誉、地位、賞賛は永遠ではない。金銭を持って死ねない。持って行けない。永遠のためには何の価値もない。又「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」これは重大だ。宝が地のものであれば、心は地に縛りつけられたままだ。神に向く事はない。「貪欲」は底がないので、幾ら手にしても満足が無い。常に足らない。

 

満ち足りるという事のない虚しい罪だ。逆に言えば、心を神に置きたければ、あなたの宝であるものを、時間、富、労力を、神に献げて行けばよい。そうすれば、必然的にそこに心がついて行くことになる。心は今、どこにあるだろう。あるがままを告げ、天へと向けられるよう、祈ろう。

 

-------------信仰より他のすべては捨ててやがて天へ行くと覚え今日を生きることが大切だ。地上のものに執着する思いをまず認めたい。主に渡しながら今の自分、環境に感謝をもって歩みたい。