「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知 っているからです」ヤコブ1:3

私たちの願いやビジョンがあり、それが主の御心であっても、すぐにスムーズには成就しない事を経験する。幾つもの試練を通りながら、信仰を試され、御心が実現して行くという事を学ばせられる。御心を間違ったのではなく、成就するまでに、苦しみを通ると、主は言われる。

 

御心を行うなら、必ず物事がスムーズに、順風満帆に行くと思っていないだろうか。それで、御心に前進する時、そこで悩みや苦しみに出くわすと、これは御心を間違ったのかと怪しみ、悩む。しかし、そうではなく、成就に至までにも試練があるということだ。主の約束は、「試し」となって私たちに臨む。

 

それによって、私たちの心に潜んでいて、普段は現れることもなく、気づかない「不信仰」を見せられる。そして信仰へと導かれる。「向こう岸へ渡ろう」と御心を示された弟子たちだったが、途上で大嵐の試練が来た。不信仰を主にさとされ、みわざを見せられた。

 

霊に憑かれた息子の父親が、主に「もし、おできになるものなら・・助けて下さい」と言った。主は「できるものなら、と言うのか、信じる者にはどんなことでもできる」と言われ、父親は「信じます。不信仰な私をお助け下さい」と叫んだ。不信仰な私を助けて下さいと頼った時に、息子は癒やされた。

 

ヨセフは約束与えられながら、異国の地へと売られ、幾多の厳しい試練を通った。患難が忍耐を生み、忍耐が練られた品性を生み、ヨセフは造り変えられ、整えられて行った。主は私たちを訓練され、信仰を成長させて下さる。そして御言葉を成就される。その時、神の栄光が素晴らしく現れる。

 

-----------------大きな試練から、日々の些細なストレスまで様々に信仰が試されている。その度に主へと信仰の根を伸ばしていこう。いかなる試練にも主が共にいてくださる。何と幸いだろう。