「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりま すか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」マタイ2:2 

主の誕生後、東方の博士たちが旅をし、主を礼拝するためにエルサレムに到着した。ユダヤ人の王はどこで生まれたかと聞いた。星に導かれてやって来たと。ヘロデ王はそれを聞いて恐れた。新しい王が誕生するとは、自らの地位が危うくなる事であり、恐れるのはわかる。しかし「エルサレム中の人も王と同様であった」とある。

 

ヘロデが恐れるのはわかるが、なぜエルサレム中の人々も恐れるのか。彼らはヘロデなど、どうという事なく、真の王と認めているわけではない。逆らえば、身に危険が及ぶから、言うことを聞いた振りをしている。脅威でも何でも無かった。だが新しい王の誕生は脅威であった。恐れと不安を抱いた。

 

神から遣わされた王なら、真の王であり、自分たちは真実に従わなくてはならない。今の生活も状況も乱されたくない。変えたくない。私たちは、肉があり、古い罪の性質がある。それは本質的に自分が王であり、主人でありたい。自分の上に「主」を置くのが嫌なのだ。従いたくない。

 

ヘロデになら、形だけであり、心では自分が王であり主人だ。しかし真の王は違う。私たちはどうだろう。私のために命を捨てられた主を前に、自分が王であり続けるか、御前にひれ伏して、主に王座に来て頂くか、どちらかだ。民は、今のまま何も乱されず、安泰でいたかった。変わりたくない自分に気づかされるだろうか。

 

------------真の王は、自己中心が心地よい私たちを良くご存じで、でも変わりたいとの思いを喜び導き続けてくださる。この闇の世に真理の光を知って歩めるとは何と幸いなことだろうか。