「あなたがもし、不義に目を留められるなら・・だれが御前に立ちえましょう。しかしあなたが赦してくださるからこそあなたは人に 恐れられます」詩篇130:3

ある夫妻の子供が、未熟児で出生後、育たずに亡くなった。医療も今のようではなかった。しかし夫は、悔いに胸がふさがれた。非常に若くして結婚したので、まだまだしたい事も多く、遊びたくもあった。そのため内心、妻の妊娠を喜べなかった。あのスポーツ行事、この旅行も~キャンセルしなければならない。

 

数々の制約に、子供はもっと先で良かったのに、との不満で一杯だった。そのため、子供が亡くなった時、子供が死んだのは、自分のせいと、自分をひどく責めた。幾ら周囲が慰めてくれても、そのとがめ、罪責感は消えず、苦しみはどうにもならなかった。その後、主に出会い、悔い改めが与えられ、心の苦しみ、とがめ、つらさ、思いの何もかもを吐き出して行った時、初めて心の平安を経験した。

 

「子よ。あなたの罪は赦されました」の言葉が響いて来た。あれほど苦しかった心に安らぎが満ちた。ある人は、つらい対人関係があり、余りにつらく当たられ続け、それは内に憎しみとなって積もった。決して表には出さないが、心は憎しみで一杯で、どす黒く、重苦しく、自分がつらくてたまらなかった。

 

主は、少しずつ手を取って導いて下さり、悔い改めが与えられた。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」と赦しの確信が与えられた。あの胸のつらさと苦しみが、きれいに消え去り、心に喜びが来た。

 

---------御神が私たちの罪に目を留められるなら、誰が御前に立っていられるだろう。主の贖いにより豊かな赦しが備えられ、苦しみの深い淵より主は引き上げてくださる。