「偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。真実を行なう者は主に喜ばれる」箴言12:22

なぜ人は嘘をついてしまうのだろう。まず虚栄心から来る。自分をよく見せようとの見栄のためだ。人に自分をよく見せたい。良い人に、能力があるように見られたい。評価されたいし、認められ、人からの賞賛が欲しい。その欲望は、本当の自分を隠して、本来の自分より良く見せる。

 

アナニヤとサッピラは、バルナバが畑を売って、代金を献げた時に、皆の賞賛を受けるのを見た。その賞賛が欲しかった彼らは、持ち物を売った代金の部分を持って来て、あたかも全部献げた振りをした。しかしそれは偽りであった。ペテロは、アナニヤに、サタンに心を奪われ、聖霊を欺いたと罪を指摘した。

 

後で現れたサッピラも同じように偽り、二人共息が絶えた。自らを信仰深く見せようとした偽りであり、欺きであった。嘘はサタンから来る。サタンこそが偽りの父だ。信仰生活に嘘が入ると、信仰が破綻する。彼らは「一部です」と言って献げれば良かったし、悔い改める事ができた。 又、真実を言うと都合が悪い時に嘘をつく。サウル王は、アマレクを打ち、すべてのものを聖絶せよとの命令を受けた。が、最も良いものを惜しみ、値打ちの無いものだけを聖絶した。それをサムエルに問い詰められた時に、民がそのようにしたと、嘘をつき、民のせいにした。自分を守るためだった。

 

嘘をつくと、嘘の上塗りをして行く事になり、何重にも罪を犯す。そして隠れた事は必ずあらわにされる。「私は良く見せたい者です」「保身に走る者です」と主の御前に真実でいよう。主が変えて行って下さる。

 

---------真実な神の前に嘘をつく必要はなく、虚栄によって自分自身が欺かれないよう、自分の姿を直視できるよう、いつも弱い自分を素直に差し出していたい。自分の足りなさを祈ることこそ優先だ。