「すべての事について、感謝しなさい」第一テサロニケ 5:16

 厳しい試練が臨み、心が痛み、苦しい状況に陥る時、「こんな中で感謝なんて無理、どこが感謝なのか。感謝などではない」と思う。しかし真理なる御言葉は、どう言っているだろう。「感謝できるから感謝せよ」、とは言っていない。又、「ハッピーな事には、感謝せよ」とも言っていない。「すべての事について」と言っている。
 そして「喜べる時は」喜べ、とは言っていない。「いつも」喜べと。なぜ感謝できるかと言うと、信仰者はすべての事に神の主権を認めるからだ。一つ残らず神の支配を認め、神には目的があり、計画があり、意図を持っておられる事を信じるからだ。無意味な事は一つもなく、無駄も無い。
 私たちを砕いて、聖め、成長させるためだ。様々な気づきを与え、教えるためだ。実はもっと危険な状態に向かう事から、救うためだったりする。試練によりどれほど高慢から守られた事だろう。人からの批判を受けた時、肉は相手を憎み、恨み、復讐心が湧き上がる。しかしそれにより平安が全く失せ、喜びは無くなり、心は悶々状態で、つらいばかりだ。
 「感謝したくないですが、できるよう助けて下さい」と気持ちをそのまま祈って行こう。感謝できないが、しかし意志を向けて、感謝を選び取ろう。「感謝ではないですが、感謝します」と。その選択を祝福して下さる。すると不思議にまず心が変えられて、やわらいで行く事を経験する。愚痴、不満の中にいても何も変わらない。真理の言葉に従ってみよう。
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 負の状況の時に、感謝して、感謝して行く時、心が変えられた事を何度も経験して来た。感謝する時、サタンの足場を崩してしまう。サタンがそこに来れなくなる。信仰による感謝には、計り知れない力がある。苦しい時こそ「感謝」に目を向けよう。みわざを見せられる。