「このおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです」Ⅱ歴代20:12 

敵であるモアブとアモンが攻めて来た。ヨシャパテ王は、全国に断食を布告し、一途に主を求め、祈った。この絶体絶命の状況を、主に訴えた。すると主はヤハジエルを通して語られた。この戦いは神の戦いであり、主が共にいるから、恐れず出陣せよと。

 

これを聞き、ヨシャパテはひれ伏して、礼拝し、主を賛美した。主の言葉を信じ、歌う者たちが賛美をし、喜びの声、賛美の声をあげ始めた時、主の言葉の通りに、敵は全滅し、奇跡的勝利を与えられた。まさに主の働きであった。私たちもどうだろう。問題だけを見ていると、思い煩いと不安に飲み込まれ、敗北してしまう。

 

又、その問題を逃げても、又必ず同じ問題にぶち当たる。しかし、ヨシャパテのように、まずその問題を主の前に差し出し、主に祈ることができる。自分で戦おうとせず、主に告げて、委ねよう。単に問題の解決だけでなく、その試練を通して、砕かれ、練られ、造り変えられて行く。そこが重要だ。

 

主は祈りに答えて、御言葉を示し、指針を与えて下さる。その言葉を信じ、感謝をし、賛美して行く時、主が戦われ、勝利を受け取る。御言葉を信じて、感謝を献げることは信仰だ。目の前の状況に主を認めることになる。その信仰を受け取り、主が力強く働かれ、みわざをされる。

 

-------------信仰が働くと思い煩いを消し、問題の中でも賛美する事ができる。なんという力だろう。不安で目の前に助けが欲しいと探すが、助けは主から来るとそこに立っていよう。