「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Ⅰペテロ5:7

私たちは、悩みや問題にぶつかる。その問題は壁のように、目の前に立ちはだかる。ああでもない、こうでもないと悶々とし、思い煩い、その問題に飲み込まれ、囚われてしまう。その最中は、出口の無い真っ暗なトンネルの中のように感じる。暗闇で何も見えない。必ず出口があるのに、光が全く見えず、暗闇が永遠に続くように思える。

 

苦しくてたまらず、祈るのだが、とにかく苦しみから逃れたいばかりだ。この苦しみが無くなって欲しい、助けて欲しいのみで、すぐに解決をと、もがく。このつらさを何とか取り去って欲しい一心だ。主に委ねる事だとわかるのだが、頭だけで、一番の問題は委ねられないという事だ。委ねられない、頑なな自我がある。

 

ある人が苦しい状況に陥り、頭では委ねる事が大切とわかる。そこで「委ねます」と祈る。何だか心が楽になった気がする。しかしすぐに、ああでもないこうでもないと、悶々と対策を考えている。気持ちは重苦しい。そこで再度「委ねます」と祈る。しかし思い煩いは去らず、胸の苦しさも消えない。それを繰り返す中で、初めて自分は委ねる事が出来ないのだと悟った。

 

握り締めていて、決して放せない。それで「どうしても委ねる事ができません。助けて下さい」と祈った。そう祈った時に、今まで堂々巡りだったのが、委ねる事ができた。すると胸が楽になり、その後、問題解決の糸口が見つかった。

 

・・・・・・・・・・委ねることが出来ない事が問題だ。頭では委ねますと思うのだが、頭だけの話で、頑なな自我がしっかりと握り締めて放さない。本音は、明け渡したなら、すべてがダメになると思っている。だから自分が握り締めている。出来ませんと祈ろう。主が働いて下さる。