「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知 っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい」ヤコブ1:3  

私たちは、様々な試練に出会う。必ず苦しみがあり、痛みがあり、それは御言葉も明言している事だ。「試み」「試練」「患難」「刈り込み」「懲らしめ」「訓練」「鍛錬」「苦しみ」「悲しみ」数限りなく出て来る。キリストのかたちへと変えられるために、砕かれ、練られ、きよめられるために、必ず試練はあるので、それにどう向き合うかが大切だ。

 

苦しみにあっては「耐え忍ぶ」事が重要だ。苦しみの中で初めて忍耐が培われる。ヨブが経験した理由のわからない苦しみや、善を行っていてなお受ける不当な苦しみがある。又、訓練、鍛錬としての苦しみ、自分の罪ゆえの苦しい刈り取り、そして主のための賜物としての苦しみがある。

 

自分の罪のための苦しみは、罪を悔い改めるべきだ。その苦しみは罪を知らせ、悔い改めに導くために送られている。そして蒔いたものを刈り取って行く事こそが、祝福の道だ。刈り取りは訓練となって自分に返り、それをも益とされ、祝福に変えて行って下さる。

 

他の苦しみは忍耐する事だ。その苦しみを通して、私たちは練られ、鍛えられ、強められ、聖められ、不動の者とされる。その苦しみにより霊的に必ず一段階成長する。あなたにも今、苦しみがあるだろうか。罪ゆえなら悔い改め、そうで無ければ忍耐が求められている。主が必ず良くして下さると信じる事だ。後に、必ず平安な実を結ぶ。

 

------------耐え忍ぶことは、苦しみに抗って何かする事ではなく、主が必ず良くしてくださると苦しみだけを見ている目を主に向けて行くことではないだろうか。祈り、主に日々の苦しみを預けていこう。