「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人・・」マタイ7:24

賢い人は聞いた御言葉に従い、実行する。愚かな人は、御言葉を聞くだけで「実行しない」と言っている。賢い人と同様に聞く事は聞いている。しかし実行しない。例えば、水泳やピアノはどうだろう。講義を聞くだけで、泳ぎ方や弾き方のレクチャーを受けるだけで、身につくだろうか。

 

音符を学んだだけで、突然、バッハ曲が弾けたなどとあり得ない。そのためには初歩から地道に練習し、初めて可能となる。身体で実践しなければならない。同様に、真理の御言葉は「実行する」時、初めて血となり肉となる。御言葉を頭で理解するだけでなく、実行する事が大切だ。賢い人も愚かな人も、どちらも「み言葉を聞いて」いる人たちだ。自分で聖書を読み、説教を聞くクリスチャンだ。

 

しかし、岩の上と砂の上に分かれる。いかなる厳しい試練があっても、絶対に倒れない人生と、倒れてしまう人生では、天と地ほどに異なってしまう。「しかもそれはひどい倒れ方でした」とあり、破壊的倒壊となる。自分の顔を鏡で見て、その場を去るなら、どうであったかをすぐに忘れる。御言葉は鏡となり、自分自身の姿を映し出す。

 

その時に示しに従わなければ、自分の心をすぐに忘れる。何も無かった事になってしまう。流されたままで、自分は変わらない。その場を去らず、「自由の律法を一心に見つめて離れない」なら実行できると。御霊は行う力を下さる。今示されているその事を、そのままにせず、御霊に助けられ実行しよう

 

-----------家の土台は表には現れないから表面は同じように見える。自分の土台はどうなっているだろう。御言葉を聞いて信じて行おう。嵐の中にあっても自分を見失わないよう主がしっかりと支えてくださる。