「民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくず れ落ちた」ヨシュア6:20

カナンに入り、難攻不落のエリコの城壁を陥落させるために、主は不思議な方法をヨシュアに示された。黙って、一日一回、町を回り、七日目に七度回って、大声でときの声をあげよと。常識では考えられない方法だった。しかしその通りに従い、最後に時の声を上げると、城壁が崩れ落ちた。奇跡が起きた。 見える状況に沿って対処するのでなく、主からの言葉を受け取り、信仰を持って、その通りに従うと、主のみわざを見る。つまり、私たちが主の奇跡を見るのは、自分の方法で、事をするのでなく、どこまでも御声を聞いて信じて従った時だ。目に見えるところは凄まじい力がある。サタンは目に見えるところを見せて、恐れさせ、思い煩わせ、失望落胆させる。

 

私たちは、いつも見えるところを見て、それがすべてとなり、心囚われ、支配されてしまう。思い煩い、不安にさいなまれ、落ち込む。しかし、信仰は、見えるところでなく、御言葉の方を真実とし、御言葉の方を選び取る。見えるところでなく、御言葉の方を信じる。見えるところと正反対、常識に合わなくとも、経験値と違っても、御言葉に従うことだ。

 

すると、「神が」城壁を崩される。常識であり得ない事が実現する。今、示されている御心があるなら、御言葉を信じて、一歩を踏み出そう。御言葉の通りに成就する。見えるところでなく、御言葉の方を選び、信じて行こう。これは自分がどちらを信じるかの選択だ。“確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

 

------------信仰によって御言葉に希望を持とうとすると必ず不信仰な思いもあらわにされる。いつもその戦いだ。常識や経験ではとても信じられないかも知れない。けれど主の御言葉が成る。主の栄光を待ち望もう。