「どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください」Ⅱコリント9:5

神は喜んで与える人を愛して下さる、献げる事は大きな祝福だ。更に豊かに報いられる。この祝福を何としても奪うために、サタンは必ず妨害して来る。古い性質、肉には、執着心があり、所有欲があるため、なかなか献げられない。肉にとって、得ることは嬉しいが、失う事は嬉しくない。

 

肉は、損得勘定だ。損になる事はしたくない。しかし、新しい人は損得でなく、主の御心を求めて行く。たとえ損になっても、損得関係でなく、又、肉の思い、自分の思いでなく、御言葉に従おうとして行く。その時、大きな祝福を刈り取る。ある青年が、バイブルセミナーに出席した。その集いで、恵みに恵まれ、心が喜びで満ち満ちた。

 

余りにも心満たされたため、最後の集会で、感謝献金のかごが回って来た時に、財布をパンと逆さまにして、全部献げた。そうしたかった、喜びに溢れた結果の行動だった。そして集会が大きな祝福の内に終わり、青年は帰りの電車賃が無かった。するとその時に「同じ方向ですよね。送りますよ。一緒に帰りましょう」と車の男性が声をかけて来た。

 

「神は喜んで与える人を愛してくださいます」、献げる事を通して、更に主の愛に触れて、喜びが増し加えられた。「神は、すべての事に満ち足りて、すべての良いわざに溢れる者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかり与える事のできる方です」

 

-----------目に見えるもの、見えないもの多くのものを神から受けている。その感謝のしるしとして何を献げられるだろう。更に受けるためでも、義務でもなく喜んで献げているかが大切だ。