「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」箴言16:3

ある人が、お酒を断とうとしていた。酒屋に近づいた時に、「主よ、もしお酒を買う事が御心でなければ、駐車場が空いていませんように」と祈った。すると駐車場は空いていた。笑ってしまうが、私たちも同じような事をしているかも知れない。主よ、御心をなしたまえと求め、御心を、と祈るのだが、実は自分の内では、もうしっかりとプランは定まっている。

 

主からの認め印が欲しい。もし心ですでに決まっているなら、自分の計画にそぐわない御言葉は排除してしまう。そして自分に都合の良い御言葉しか入らない。無意識にそうしてしまっていて、気づかない。間違った方向に進まないためには、自分の計画を一旦、主に委ねるのが良い。主に明け渡すことだ。

 

その計画が御心なら、主によって返って来るし、更に揺るぎないものとして、確信が与えられ、そして主により成し遂げられて行く。又、御心でないなら、成って行かない。いつも祈りは「主よ、こうして下さい」「ああして下さい」「主よ、こっちへ来て下さい」「あっちへ行って下さい」だろうか。

 

そうではなく、「私は」「私は」でなく、「主は」私に、何を願い、どんな御心を持っておられるのか、主のみ思いはどうなのか、祈りの中で問うてみよう。御心の計画は、どんな紆余曲折を通ろうとも、必ず成し遂げられる。

 

---------------自分の強い思いが御心であったらとの目で、御言葉も環境も見てしまいがちだ。迷っていればいるほど明け渡せるように祈りたい。みこころのままに働かれる主の導きを砕かれた心で聞きたい。