「というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです」Ⅰペテロ2:15

私たちは寒暖計の人生だろうか。外気温そのままに、正比例して、温度を表示する。寒ければ低く、暑ければ高温度を表示する。つまり、気温の通りに反応する。相手が親切であれば、親切に対応し、優しければ、優しく対応する。相手が冷たければ、こちらも冷たく、無視されれば、無視し、攻撃されれば、こちらも反撃する。

 

これは反応する生き方だ。これでは、自分の幸せ、不幸せが、相手によってコントロールされる事になる。すべて相手次第という事になり、自分が無い。ここ数日を振り返ってみてどうだろう。他人のあの言葉やこの態度で、自分がアップダウンし、又、暖かくなり、冷ややかになっていないだろうか。

 

他人の評価で一喜一憂し、喜んだり、沈んだり。人が気になって、気になって仕方が無い。まず反応している自分に気づき、祈ろう。人に反応するのでなく、御霊に反応し、御心を行い、導きに従う事を決心しよう。

 

ある人が、職場でつらく当たられ、挨拶しても無視された。しかし反応ではなく、御霊に従って生きる事を決心していたので、相手に関係無く、相手がどうであれ、自分は挨拶をし続けた。すると段々相手が変わって来た。やがて、親しい友人となり、悩みを相談されるようになった。

 

又、ある人は無視されても同様に挨拶を続け、特別親しいというわけではないが、普通の関係になり、しかし自分自身は平安に満ちた。私たちは反応するだけだろうか、もし御霊に従うなら、、自分から良いものが出て、自分と周囲を変えて行く。

 

・・・・・・・・・・・・・人に反応して生きている時、御霊の気づきを与えられるよう祈ろう。そのつど主のもとへ行ける。そして反応するのでなく、主の御心を行えるよう祈ることが出来る。御霊は助けて下さる。主とひとつに生きる御霊の喜びを味わって行ける。