「『主よ。この人はどうですか』・・わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりが ありますか」ヨハネ21:22

フィギュアスケートの試合で、時々選手がヘッドホンをして、順番を待っている姿が映る。他の選手の結果を耳に入れないためだ。心を騒がせたり、心を乱すことなく、情報をシャットアウトし、ひたすら自分の演技にのみ集中できるように。でなければ、他人の演技に自分が影響されてしまい、他人の出来、不出来で心が動揺してしまう。

 

そのため本番で緊張の余り、ジャンプで転倒してしまうケースがよく見られる。様々な思惑が入り、演技に集中できない結果だ。せっかく普段の練習で積み重ねた力が発揮できない。自分の歩みが、他人により変えられてしまっている。私たちの信仰人生も同様だ。人と比較すると、自分の人生が歩めない。人と比べてアップダウンしてしまう。上を見上げて、自分に与えられた御心を行って行くところに、この世の喜びではない、御霊の喜びがある。

 

人と比べると劣等感で落ち込んだり、不満を募らせ、勝ち負けに走ったり、それなら競争相手が基準になってしまう。人によって自分が左右され、振り回される。人との比較でなく、自分に与えられたものを、主のために十分に発揮して行く。

 

上を見上げるなら、そこに競争相手は存在せず、主と自分との関係だけだ。そして、そこには妬みや争いでなく、喜びがある。優越感の肉の喜びではなく、霊の喜びだ。比較から解放されるには、「わたしに従いなさい」と言われる主を仰ぎ、主に従い、与えられた御心を一つ一つ行って行くことだ。

 

・・・・・・・・・・・・・比較している時に、御霊の気づきが与えられるよう、祈っていよう。気づかないまま、心が暗くなり、平安を失ってしまっている。主と自分の関係がすべてだ。そこが正しいと、どんな中でも平安だ。そこに人が入っている時に、気づけるように。