「ある人たちはこの目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に 走り・・」Ⅰテモテ1:6  

友人に福音を伝えていて、議論になった経験は無いだろうか。又、信仰者同士で、議論になった事があるだろうか。ある時、青年たちで聖書に明確に記されていない事柄に関しての議論になり、議論は高じて気まずい険悪なムードになってしまった。ある人が平安が無く帰宅した。

 

そして聖書を読んでいると「果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように・・論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではない」と示された。議論をして平安が失せるのは、神や信仰の衣を着て、実は「自分の正しさ」を主張し、自己主張になるからだ。そこに自我が出て、議論のための議論になる。

 

議論になると、とにかく負けるのが悔しくて、勝ちたい。相手を打ち負かしたい。勝つ事がすべてとなってしまう。何が目的なのかがわからなくなる。「自分の言っていることも、強く主張していることについても理解していない」の通りだ。ここから徒党や分裂が生じる。

 

私たちの目標は「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛」だ。「愛」が目標だ。「この目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走」りがちだ。建設的意見交換は、良い事であり大切だ。いつもその動機が「愛」であることを、しっかり確認していよう。

 

--------------正しさをいくら主張しても、また主張されても御心の動機からそれていくならただの自己主張で終わってしまう。無益な議論からはきっぱりと退き、主の元に立ち戻ろう。