「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます」ルカ7:7

ある百人隊長のしもべが、病気で死にかけていた。百人隊長は、主のもとに人を送ってしもべを助けに来て下さるよう願った。主は願いを聞き、向かわれた。その途上で、使いを出し「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、しもべは必ずいやされます」と主に伝えた。

 

百人隊長は、その立場上、権威というものを身をもって知っていた。自分の指図通りに部下は動く。自分の一言で、その通りに動くのだ。それゆえ、来ていただくに及ばず、ただお言葉を頂ければ、十分だと言った。主の権威を心底認めていたからだ。私たちはどうだろう。主の主権と権威を、真剣に信じているのだろうか。

 

自分の思い通りに事が運んでいると、喜んで主を認めるが、自分の思い通りでないと、「何で?どうして?」「神様はひどい」と、屈折し文句タラタラだ。自分の都合の良い時だけ、主を認め、都合が悪くなると、手の平を返した態度になる。これは「神中心」の信仰でなく、「自分中心」の信仰だ。

 

神の栄光や神の御思いに中心があるのでなく、どこまでも自分の思いが中心だ。私たちの日々はどうだろう。百人隊長のように、神の主権と権威を認め、へりくだり、神は必ず良くして下さると信じて行けたらどんなに良いだろう。その時、主は「このような立派な信仰は見たことがない」と言って下さる。信仰の中心が、「自分」にある事に気づく事から、祝福が始まる。

 

・・・・・・・・・・・・・根深く自分中心が巣くっている事に、気づかせて下さる事が感謝だ。御霊が気づきを与えては、変えて行って下さる。不信仰に気づかせられて、信仰へと進ませて下さる。御言葉を、約束を、信じる信仰を与えて下さる。