「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8 

ある人が、まさに企業戦士であり、早朝出勤に帰宅は深夜、忙しく仕事量は膨大で、休日など無く、ひたすら目の前の仕事をこなした。余りの重圧にストレスは溜まり、過労でとうとう心身限界にまで来た。眠れなくなり、食欲も失せ、睡眠剤に頼るようになった。わけのわからない不安、孤独感に襲われ、軽い鬱状態で、しばらく休暇を取った。

 

そんな時、誘われて教会へ行った。そこでの賛美、祈り、聖書、何もかも初めてであったが、カラカラのスポンジが水を吸い込むように、何か心にしみ渡った。不思議な安堵感があった。しかし弱りきっていた者が、ただただ、わらにもすがりたかっただけで、自分の「罪」が何もわかっていなかった。ある日、「自分はだめ人間で」との言葉が口から出た。

 

その時「それは恵みです」と、だめだからこそ、神の力を知れると言われ、カチン!と来たのだ。だめな人間と、他人から同意された事に怒りが湧いた。口では言うが、自分はこれぽっちも思っていない。その時、自分のプライドが、あぶり出された。自分で血のにじむような努力を重ね、頑張りに頑張って、成果を出して来た。そのプライドは人一倍高く、そのプライドこそが神を認めなくさせていた。

 

神など要らない。自分が神であり、それは恐るべき高慢であり、それこそが罪であると示された。とにかく人より上に立ちたい、勝ちたい、評価されたい、認められたい、今までの人生はそのためにだけ、生きて来たと気づかされた。心から悔い改めた時、心底の安堵を経験した。人生が変えられた。

 

------------聖霊様が働く時、罪について考え、自分も救われなければと思わされる。そこまで醜いとも思っていなかった自分の内側に気づかされる。内に語られる御霊様の声を聞き、交わりながら豊かな信仰生活を歩んでいこう。