「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい」Ⅱテモテ2:8

サタンは私たちの「思い」に攻撃して来る。「悪魔はすでにイスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた」とあるように、悪魔が、ユダの心に、主を裏切る「思い」を入れた。悪魔が持ち込んだ思いだ。ユダは、主を裏切る思いが、サタンからの思いである事に気づかなかった。

 

最初にサタンが思いを吹き込む。そしてその思いを、受け入れるか、拒否するかは、人間の側の選択だ。サタンからの思いの吹き込みを、拒否せずに、同意し、受け入れ続けた時に「サタンが彼にはいった」と御言葉は言っている。ユダが拒まず、その思いを決意し選択した結果、サタンに支配されてしまった。

 

サタンからの思い自体は罪ではない。朝から晩まで一日中、様々な思いを吹き込んで来る。それを選択し、同意し、受け入れる時に罪となる。自らの欲のところに、サタンが誘惑を吹き込み、それを思いの中でじっと熟成させ、妊娠させてしまう。「欲がはらむと罪を生み」との通りだ。妬みや憎しみ、恐れや思い煩い・・その思いに同意し、受け入れてしまっているだろうか。

 

心が真空状態になっている時に、サタンは思いを吹き込む。賛美や御言葉、主を思う時に、心は守られる。心を、力の限り、見張れと言っている。心を見張る人などいない。そのためサタンが自在に働けてしまう。心を見張っていよう。祈っていよう。主を思っていよう。

 

・・・・・・・・・・・・・「絶えず祈りなさい」「すべての事について感謝しなさい」祈りと感謝が心にある時、サタンから守られる。心が主に向いている時、平安と喜びがある。心が暗く沈む時、ネガティブに向く時、サタンの思いについて行っている。御霊が気づきを与えて下さるように。