「民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲んだらよいのですか』と言った。モーセは主に叫んだ」出エジプト15:24

モーセに率いられた民はエジプトを出た時、男子だけで60万人、女子子供を入れると200万ほどだろうか。驚くべき人数だ。葦の海から旅立ち、3日間、荒野を歩いた。彼らは水が見つからず、水を探した。マラでようやく水を見つけたが、それは非常に苦くて飲めないものだった。

 

そのいら立ちとつぶやきは、モーセに向かった。モーセの素晴らしいところは、民に向かわず、それをいつも主に持って行った事だった。自力でどうこうしなかった。モーセが祈ると、一本の木が示された。それを水に投げ入れると、その水は甘くなった。その水は民をうるおした。「その所で彼を試みられた」。 これはまた、民だけでなく、モーセへの試みでもあった。

 

試練の中で、主の御声に従うかどうかを試みられた。民はエジプトを出て、そのまままっすぐに行けば、カナンまで2週間位のところを、あえて荒野へと南下させられた。そして40年間荒野をさまよった。

 

これは、神が、民を様々な試みを通し、訓練し、整えるためであった。信仰を成長させ、整え、神に従って生きることを身につけさせる、その歴史であった。私たちも同じように、荒野を通る。様々な苦しい問題や悩みを通り、試され、砕かれ、練られ、鍛えられる。そして信仰者として整えられて行く。 主に信頼し、御言葉によって生きる事を培われて行く。その荒野の間、主はずっと天からマナを降らせられた。主に従うなら、必要は必ず与えられ、満たされる事を見せられる。

 

--------------日々やって来る問題の中で、主に訴え、主に問いながら導かれる過程こそ感謝だ。問題を通して神を見て右往左往している所から、神を通して問題を見ていたい。それならどんな荒野も乗り越えていける。