「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」イザヤ48:10

神は、私たちの内に、御心にかなった思いを心に授けられる。つまり「~しよう」「~したい」との思いを起こされる。しかし、心に起こる思いが、すべて神からのものというわけではない。サタンも絶えず火矢を投げ込み、心に思いを吹き込む。又、自分から湧き上がって来る、肉の思いもある。では、どれが神からの思いなのか。

 

見分けるためには、その思いについて、まずとにかく祈ることだ。まず祈りに持って行く。そして、その思いが、聖書全体の原則にかなっているかを見る。どうであれ、御言葉に反する方向へ導かれる事は絶対に無い。神に矛盾は無い。目的のために手段を選ばないものも、神からではない。不正な方法で事をされない。神から出たものであれば、目的も手段も正しく導かれる。

 

それは人の徳を立て、霊的成長に役立つものか。御霊は、意味もなく人を傷つける事はされない。誰かが傷つくなら、それは違う。又、御心の思いは、時間の経過があっても変わらない。気まぐれな肉の思いなら、気分次第で変わるし、しばらくすると消えてしまう。特に重要な事柄であれば、よく時間をかけて祈ることだ。それではっきりしてくる。神の御心なら、その思いは時間を経ても変わらない。

 

環境も伴って行く。又、指導者に祈ってもらうと良い。御心なら必ず一致があり、共に平安が与えられる。神からの御心をしっかり受け取り、従おう。神が成就され、栄光を現される。

 

・・・・・・・・・・・・「わたしは、あなたの神、主」「あなたの歩むべき道にあなたを導く」とは、なんと心強い事だろう。目の前にどういう事態があり、どういう状況であろうと、主は必ず導いて下さる。よくアンテナを張って、御声に耳を澄まし、環境を見張っていよう。