「子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです」Ⅰヨハネ2:12

赦さない心は、自分が苦しい。つらくてたまらない。恨み、裁き、憎む思いは心に重い鉛となる。心をふさぎ、重苦しくする。経験あるだろうか。普段、目の前の事に忙殺されている時には、忘れているのだが、ふっとした途端、思いによぎり、心を暗くする。楽しい時にも、頭をよぎった途端、苦しくなる。

 

そして何より一番の問題は、御霊によって歩めなくなってしまう。「御霊によって歩みなさい」の命令に従えない。肉の歩みになってしまう。今の状態を祈りに持って行こう。あるがままを主に告げよう。主は受け止めて下さる。そして、赦さない自分を認めて、主の助けを仰ごう。必ず赦せるように、一歩一歩を手を取って導いて行って下さる。

 

沢山の人々がそのプロセスを経験して来た。自分には出来ない事を認める時に初めて、御霊の助けが臨む。その中で、御霊が何か具体的になすべき事を示される。一人一人に取り扱いが異なるが、相手に声をかける事であったり、相手の祝福を祈る事であったり、その御霊の示しに従う時、事が動いて行く。

 

信仰をもって従う時に、神が動かれ、みわざをされる。その時、自分の心が変えられて、赦す事ができている事を発見する。自分で出来ない事を認めて、御霊の示しに従おう。主が、まず私たちを赦してくださったことを覚えよう。

 

-------------赦せない気持ちを主に告げる中で、赦せない思いも罪だと主との関係が正される。自分では治まらない気持ちに主が働いてくださる。感情に留まらず、迷わず御霊の導きに従おう。