「・・炎はあたなに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ」イザヤ43:2

水の中を過ぎる時も、川を渡るときも、押し流されない。火の中も、焼かれず、炎は燃えつかないと言っている。わたしがあなたと共にいるからと。モーセに率いられた出エジプトを思い出す。背後から精鋭エジプト軍隊の追っ手が迫り、目の前は紅海。前進も後退も出来ない、まさに絶体絶命だ。

 

そんな中、目の前で紅海が分かたれ、道が造られた。そして約束の地カナンに入る前に、とうとうと水が溢れ、横たわる橋も舟もないヨルダン川を、主は渡らせて下さった。火の中も焼かれずとは、シャデラク、メシャク、アベデネゴが、ネブカデネザル王の命令に逆らい、金の像を拝む事を拒否した時に、燃える炉の中に投げ込まれた事を思い出す。

 

いつもの7倍熱い炉の中に入れられたが、全く無傷だった。主が彼らと共におられた。よく見ると、その炉には彼らの他にもう一人いたと。主イエスがまさに共におられた。私たちも信仰人生で、水の中、火の中の非常に厳しい試練を通る。しかし押し流されず、焼かれず炎は燃えつかない。

 

ある人は子供に難病が発覚した時に、涙に暮れ、しかしその子供から喜びと平安と希望を与えられる事に。ある人は、親の介護の厳しい現実に瀬戸際に追い詰められた。しかし叫び祈り、委ねて行った時に、心に“人のすべての考えにまさる平安”が与えられた。どんな中にも必ず救いがある。炎は燃えつかない。

 

---------自分一人では疲れ果てて、とても脱出できない問題であっても主が時に叶った助けをくださる。その助けは無限だ。動くことも揺らぐことも無い。私たちの信仰はそこに立っている。