「彼らが、私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った」Ⅰサムエル8:6

イスラエルの国は、神によって治められていた。しかし民は、人間の王を求めた。サムエルは年老いて、息子たちも主の道を歩んでいない。敵の攻撃があっても王がいれば戦ってくれる、そのため他の国々のように、自分たちも王が欲しいと。サムエルは気に入らなかったが、祈りに持って行った。私たちも気に入らない出来事も、まず祈りに持って行く事が大切だ。

 

主は、民が、人間の王を欲した時に、「彼らを治めているこのわたしを退けた」と言われた。そして、王の権利を知らせよと言われ、サムエルは、ことごとく民にどんな犠牲があるかを知らせた。息子は戦いに取られ、娘たちは働かされ、畑は取り上げられ、自分の家来たちに与える・・そして自分たちの選んだ王のゆえに主に求めても、その日、主は答えて下さらないと。

 

しかし、それでもなお、民はどうしても王が欲しいと言い張った。その時、主は、彼らに一人の王を立てよと答えられた。人間が、神の警告を聞かずに、どうしてもしたいと主張し続けて願うものは、神は与えられる。しかし願いが叶えられた結果、やせ衰えると。「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた」詩106:15

 

自分の欲望を突き通すのでなく、私たちを愛し、最善を備えて下さっている神に従い、神の警告に従う事が、自分にとって喜びと平安の道だ。それは何よりも神の愛から出ているからだ。純粋に私たちの益のためだ。もし今、主からの警告があるなら、耳を傾け、従おう。

 

・・・・・・・・・・・・どうしてもの欲望、欲しいものがあるなら、その思いをまず主に持って行こう。気持ちを充分告げて知って頂こう。もし御心でないなら教えて下さる。主に充分受け止められ、受け入れられ、愛されている事がわかるからこそ、自分の思いを献げて行ける。