「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4

神に出会うまでは、神無しの人生を生きて来たので、この世の価値観が根深くある。どこまでも軸が自分にあって、自分軸で考えてしまうし、そうしか考えられない。それが普通の状態で生きて来たからだ。そのためどうしても「自分のための神」になってしまう。

 

「自分が幸せになるための神」「自分がより良い人生を送るための神」「自分が助かるための神」「問題解決のための神」その底は、どこまでも「自分」であって、「初めに神」ではなく、「初めに自分」になってしまう。「自分」のための神だ。

 

しかしそこには本当の「喜び」、「御霊の喜び」は無い。真の平安も無い。そして聖書の信仰は、神中心なので、なかなかわからない。自分中心、自分軸でしか考えられないからだ。又、自己実現、自己充足等は、悪いことに思えないので、そのための神としていても気づかない。

 

しかし御霊が信仰生活を導いていて下さるので、少しずつ少しずつ、自分の姿を見せて下さって気づきを与えて下さる。教理的には神の栄光だが、実は、自分の要求のみで、神のお心、神の栄光など発想にも無いことに気づくことから始まる。

 

自らの求めを、神の御心に合ったものに、自分が変えられて行くことを学ばせられて行く。その時に、自らの心の願いが叶えられることを経験して行く。

 

------------自分の判断で人も状況も見えているので、状況で一喜一憂してしまいそうになるが、神の御心を深く知ろう、御言葉の約束から見ていこうと心の向きを変えるなら、自らが大きく変化させられる。