「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3 

ある人がプロジェクトのリーダーとなり、懸命に労していた。準備に励んでいた最中に、急病で倒れ、入院という事態になってしまった。別の人が代わりに立ち、取りまとめて行った。病院で処置が終わると、静かな時が持てて祈っていた。「どうして途中でこうなったのですか」と、やり遂げられず、残念な気持ちもあるがまま告げ、心の内をことごとく祈って行った。

 

その時、表立って人を押しのけようとはしていないが、心の中に「自分が」「自分が」との強い思いがある事に気づかされた。自分が上に立ちたい、前に出たい、認められたい、自分が仕切りたい。認めたくないが、そうなのだ。「へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」そのような態度も思いも無く、心の内では、自分、自分だった。

 

砕かれ、教えられるためであった事を悟り、悔い改めて主に心から感謝した。プロジェクトを成し遂げるより、もっと大切な大きな学びを得た事に感謝できた。そして病室で、祈り手として執り成しの祈りにあずかれた。そのため、その成功を共に喜べた。一致を妨げるものが、「自己中心」と「虚栄」だ。

 

一致が無く、秩序が乱れ、分裂が生じる時には、そこに自己中心と虚栄がある。そして、一致に必要なものが「へりくだり」だ。へりくだりとは、「互いに人を自分よりもすぐれた者と思う」ことだ。私たちは神のみ思いでなく、自分のメガネと自分の物差しを持っている。これが自己中心であり、自分の思いに固執する。

 

「虚栄」とはプライドであり、自分が特別な人間だと認められたい。様々な出来事で、主はそこを取り扱おうと教えて下さる。砕きにより変えられて行く。

 

-----------自分の物差しが一番正しいと誰もが思う。だから更に自分、自分と押さえても前に出ようとする自我がある。互いにすぐれている者であり、互いにそういう弱さを持っていることを覚え祈っていきたい。