「それで、彼は行って、主のことばのとおりにした」Ⅰ列王17: 5

「彼に・・主のことばがあった」、エリヤはケリテ川に行くように言われた。「彼は行って、主のことばのとおりにした」、示された通りに、ケリテ川へ行き、そこで養われた。飢饉のため、その川が枯れた時、「彼に・・主のことばがあった」、『ツァレファテへ行け、やもめ女に命じて養う』と。

 

「彼は・・出て行った」、その町へ行くと、やもめ女に出会った。そこで彼女に水とパンを求めた。すると、彼女の悲惨な状況が発覚。最後の一握りの粉でパンを作り、母子で最後の食事をして死のうとしているという。何という事だろう。目の前の人物は、人を養う事など到底不可能だ。しかし助けを求めなければならない。人間的に考えるなら、その最後のパンを自分にくれとは、とても言えない。

 

しかし、エリヤは見えるところでなく、情でも、思いでもなく、信仰に立ち、ただ御言葉に従った。まず自分にパンを作り、その後にあなた方のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わるまで粉は尽きず油は無くならないと。彼女はエリヤの言葉に従った。すると奇跡が起きて、母子は飢饉のまっただ中で豊かに養われた。

 

それは母子のためでもあった。神を第一にして従う時、神の栄光を見る。自分の思いや、見えるところが正反対であっても、神の言葉に、信仰によって従おう。「主のことばがあった」「主のことばのとおりにした」。その時大きなみわざを見る。

 

・・・・・・・・・・・・・主の言葉を、御霊の語りかけを、スルーし、ないがしろにしていないだろうか。今、目の前に示しがあれば、従えるよう祈ろう。主のことばの通りにする時に、次の展開がある。ぐずぐずしていると、御霊の示しは消えてしまう。一歩、歩を進められるよう祈ろう。