「御使いは・・マリヤに言った『おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにおられます』」ルカ1:28

マリヤは、自分を主のはしためだと言った。奴隷とは、主人に絶対服従だ。奴隷が、自分が納得したから、主人に従うだろうか。主人を信じられるから従うだろうか。奴隷は、自分が理解できようが、できまいが、納得しようがすまいが、主人の言う事に絶対的に従う。

 

マリヤは、突然の御使いの出現に、その言葉にひどく戸惑った。しかし御使いに「どうしてそんな事が・・」と問い、御使いの説明を受け、神に不可能は一つもないと言われた。すべて理解できたわけではないが、主が言われるのなら、従いますと応答した。「おことばどおりにこの身に」と。

 

自分自身を主に明け渡した。自分の将来も、結婚の夢も、ヨセフも、何もかもを主に委ねた。この後、どうなるか全くわからない。大変な状況に直面するだろう。聖霊により妊るなどと、ヨセフが信じられるわけがない。家族、周囲の者はどう思うだろう。結婚前に妊るなど石打ちの刑だ。

 

様々な思いがよぎったろう。しかしマリヤは「この身に」と、自分自身を差し出した。そしてその後、エリサベツに会いに行った時に、神を喜びたたえ、人々も「私をしあわせ者と思うでしょう」と言った。マリヤは喜びに満ち溢れた。 「主のはしため」とへりくだったマリヤを、大いなるわざのために用いられた。私たちも御声に従う時に、恵まれた者であり、主がともにおられることを実感して生きて行ける。そこに真の喜びがある。

 

・・・・・・・・・・・見える所だけ見れば、マリヤは大変な状況だ。結婚していないのに妊るなどと、命がけだ。しかしこれは神からの恵みで、喜ばしい事だと。主を信じて自分自身を委ねた時に、マリヤはその通りに計り知れない大きな恵みにあずかる者とされた。