「・・どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」 ルカ1:38

マリヤに突如現れた、御使いガブリエルの言葉を受け、マリヤはすべてが理解できたわけではなかった。が、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と、受け入れ、我が身を差し出した。マリヤが選んだ事ではなく、マリヤの思いでもない。主が御心により、マリヤを一方的に選ばれた。

 

そして彼女を用いようと計画されたゆえの事だった。すべて一方的な主の主権によることだ。マリヤには、様々な思いが巡ったことだろう。見えるところ困難の壁が立ちふさがっている。しかし主を信じ、「不可能は一つもない」主に、すべてを明け渡した。マリヤの信仰だ。

 

パウロも以前、クリスチャンを熱心に迫害し、それが神のためと信じていた。ところが突然の天からの光で、地に倒され、主の御声を聞いた。異邦人、王たち、イスラエルの子孫への宣教の器として選ばれていた。パウロの思いでなく、パウロが選んだ事でも無かった。しかし主の導きに従った時、異邦人宣教への偉大な働きのために用いられた。自分の思いではなく、主のご計画であった。

 

今、あなたも主からの示しがあるが、ちゅうちょしているだろうか。とまどっているだろうか。「どうしてそのようなことに」と踏み出せないでいるだろうか。「神から恵みを受けたのです」「不可能なことは一つもありません」を信じ、主からの示しに踏み出そう。

 

----------どうしてそのようなことがの思いは示しと同時にいつも来る。マリアも戸惑い祈り、そして全世界の中でたった一人、神の御子を宿す大きな恵みにあずかった。小さな示しも主が選んでくださった事だ。真摯に祈って行こう。