「そのために私は、高ぶることがないようにと、肉体に一つのとげを与えられました」Ⅱコリント12:7

パウロは、「とげ」が与えられた。そのとげの突き刺して来る痛みは何とも苦しく、そのとげを取って下さるようにと、三度、主に祈った。しかし、主の答えは「ノー」であり、その弱さの中にこそ、主の力が完全に現れると。私たち一人一人にも、いろんな形で「とげ」が与えられる。

 

病気や、様々な苦境、つらい問題、悩み、又しばしば対人関係の形でやって来る。嫌な相手が目の前にいる。「何でここに、この人がいるのか。この人さえいなければ、私は平穏で、幸せなのに。何でこの人が!」という相手だ。そこで何度も何度も、この人を私の前から取り去って下さいと祈る。

 

とげが抜けて、痛みから解放されたら、どんなに楽で嬉しい事だろう。祈り続けるのだが、その祈りは答えられない。取り去って下さらない。しかしそこで取り扱われ、弱さの中でこそ、主の御力や主のご愛を知って行く。そのとげは、高慢にならないために与えられたものだ。

 

そのとげにより、へりくだりが与えられ、弱さが恵みであることを経験して行く。もしその弱さが無かったなら、何でもかんでも出来たなら、決して主に頼ることなく、自分でやって行ってしまうだろう。弱さにより、心底主に頼ることを経験させられ、御言葉を信じることを経験して行く。

 

今、目の前に祈るが、取り去られない事態があるなら、それがあった方が良いという事だ。更に主に頼り、更に主を信じる信仰に成長させようとして下さっている。あなたのとげは何だろう。

 

--------------解決できない問題、長引く祈り、その中でどれ程変えられて来ただろう。いつでも強く完璧であれば、弱さの中に働かれる主を決して知る事はなかった。弱さを弱さのまま受け入れよう。