「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」 Ⅱコリント3:16 

別の箇所では、「主から目を離すな」とある。普段経験するが、目 の前の状況と自分を見ると、ひどく落ち込む。何をどうすればよい のかわからず、思い煩いで真っ暗になる。ところが御霊に助けられ、 主を仰ぐと、「益になる」「愛されている」「ご計画がある」「主 の御手の内」「最善をされる」「訓練とされる」・・御言葉に励まさ れ、信仰が湧き、心が落ち着いて来る。

 

ペテロは海上で、主の「来なさい」との御言葉を信じ、ただその御 言葉のゆえに、一歩を踏み出した時に、水面上を歩いた。奇跡が起 きた。主イエスだけを見ていた。ところが、ふと風に目が行き、主 から目を離した途端、ぶくぶくと沈み始めた。これは状況は全く同 じという事だ。海上で、「何を見ているか」で、歩けたり、沈んだ りする。

 

全く同じ状況で、恐れに支配されたり、又、逆に心平安だったりす る。私たちはとかく苦しい状況を変えようとする。それさえ変われば 平安になり、幸せになれると。しかし状況の問題ではない。どんな 状況の中でも、主を見る事で平安を得る事ができる。神を通して状 況を見る時、どんな悲惨な中でも、平安と感謝と喜びが来る。しか し、状況だけを見た途端に、恐れと思い煩い、いら立ち、不満、怒 りの海に溺れる。

 

ある試練にある人が言った。苦しい状況で、自分だけが不幸で、皆 は幸せそうと、屈折した思いにとらわれた。ところが主を見上げた 時に、思いが全く変わった。こんな自分を励まそうとしてくれる人 々の愛が見えて、素直に感謝できて、心から嬉しいと思えた。御霊 は主から目が離れている事に気づかせ、主へと導いて下さる。

 

---------- 風を見て自分を見るならとても立っていられない。自分が思った道 は困難に見えても主を仰ぐなら、必要な備えは必ずあると希望が湧 く。今年も信仰に立って、主の備えてくださる道を歩んでいこう。