「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか』」創世記3:9

わけわからず、イライラする事があるだろうか。なぜか心が窮屈で、平安が無い。思い煩いも来るし、焦りや不安で気持ちが重く、閉塞感がある。周囲のせいだと思い、身近な者に当たってしまう。甘えられる相手や弱い者にぶつけてしまう。しかし平安は無く、今度は落ち込んでしまう。

 

又、「悪者は追う者もないのに逃げる」とあるが、あれをしなければ、これをしなければ、仕事は山積で、いつも追い立てられているように感じる。圧迫感があり、心が焦る。身体は休んでいても心は安まらず、平安が無い。そんな時、外側の問題でなく、自分の問題であり、自分と主との問題だ。主との関係に目を向けよう。

 

神に背いて、恐れて隠れていたアダムとエバに、主の方から呼ばれ、御声をかけられた。「あなたは、どこにいるのか」と。「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主のみ声を聞いた」とあり、主の方から彼らを捜された。「あなたは、どこにいるのか」、主との関係の問題だ。自分が主から離れているだろうか。

 

御声を聞くなら、あるがままの状態を主に打ち明けよう。「イライラしています」「平安がありません」「焦っています」「重苦しい」・・恐れて自分を隠すのでなく、あるがままで出ておいでと招いて下さっている。常に赦しと、変わらない愛をもって、どんな状態であろうと、まずあるがままで受け入れて下さる。心配していて下さる。主のもとに行く時、再び平安と安堵で心が満ちる。

 

・・・・・・・・・・・状況ではなく、いつも主と自分の関係が問題だ。屈折して見える時、平安が無い時、主と正しい関係にいない。絶えず「あなたはどこにいるのか」と愛の御声をかけ、主を見上げるように、主に向くように、矯正して下さる。、