「彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした」詩篇22:5

ハドソン・テーラーの証しだ。ある時、医師の助手として働いていた。その医師は、給料をよく渡し忘れるので、その時は言うようにと告げられた。彼はそれを聞いて考えた。その時には、言わずに祈り、神から答えを頂きたいと。それを信仰の訓練にしたいと思った。そしてやはり医師は、忘れた。

 

彼は祈った。祈って待った。とうとう銀貨1枚になった。そんな時、非常に貧しい子供が来た。母親が病気だ。しかし銀貨は1枚しか無い。2つあれば、喜んで1つ上げるが、1つなので上げられなかった。その後祈ると「偽善者」との思いが来る。「祈るより与えるべきだ」と。出来ない自分に、神にのみ頼る信仰はないと、非常に惨めになった。結局その銀貨を上げた。

 

一文無しになったのだが、心は平安と喜びで満ちた。その日の夕飯は残り物を食べた。しかし翌朝から何もない。すると朝に郵便が届いた。封筒を開くと、何と彼が子供に与えた額の数倍が入っていた。そしてそのお金が無くなった頃、医師が給料の事を思い出してくれた。神は真実であり、生きて働いておられる。「正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない」とある。

 

ツァレハテのやもめは、飢饉の中、餓死する前に子供に最後の食事をさせてやりたい、その最後の粉をエリヤに献げた。最後のギリギリのものを献げた、その時に、飢饉の間中かめの粉は尽きず、つぼの油は無くならなかった。真実な主が共におられる。

 

---------------差し迫った問題を前に混乱しても出来ることがある。主を呼び叫ぶことだ。主に信頼するなら失望は無い。必ず助け出される。不安は襲って来るが問題の解決はただ主から来る。祈ろう。