「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい」 ピリピ2:14

神はみ心のままに、私たちの内に働いて志を与えられる。そして、神が事を行わせて下さるとある。神が思いを与え、神が成し遂げて下さる。だが、そのみ心を実際に行おうとする時に、つぶやきや疑いが出て来る。あなたも経験あるだろうか。「ああでもない~、こうでもない~」「ああすれば、ああなり~、こうすれば、こうなり~」あれこれ考えてしまう。

 

自分の立場を考えると、人にどう思われるか、変に思われないか気になって仕方がない。又、払う犠牲に、時間に、労力を考えると、ちゅうちょし、及び腰になってしまう。いのちの言葉をしっかり握って、彼らの間で世の光として輝く、とあるようにいのちの言葉をしっかり握る事が大切だ。

 

「世の価値観や常識、自分の思い、経験値」を握っていたなら、主に従うことができない。この先もずっと従えない。肉の価値観が妨げる。そして、ああでもない、こうでもないと、思い巡らしている内に、サタンが「しなくてもいい」と吹き込む。ぐずぐずしている間に、気力に攻撃が来て、気力がなえてしまい、み心が行えなくなる。その背後に敵の妨害、サタンの惑わしがある。

 

み心に歩ませないよう、サタンは絶えず攻撃して来ている。振り返る時、どうだろう。思い当たるだろうか。ぐずぐずして、失敗しただろうか。「私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」の通り、み言葉をしっかり握る時に、「急いで、ためらわず」行うことができる。

 

-------------志が与えられても、ぶつぶつと自分の中で考え、それで終わってしまう。そんなことは無いだろうか。志とつぶやきはいつも同時に来る。従いますの心でつぶやきを捨てよう。信じて従い輝いていよう。