「私の助けは、天地を造られた主から来る」詩篇121:2          

「山に目を上げ、私の助けはどこから来るのか」これは、エルサレムへ巡礼の旅に出る時のものだ。前に立ちはだかる困難な険しい山々、苦難が待ち受ける行く手の山々に、助けがあるのだろうか。エルサレムは遙か彼方であり、どんな危険が待っているかわからない、だが巡礼者は、立ちはだかる山々よりも、更に上に目を注いだ。

 

「私の助けは、天地を造られた主から来る」。その山々を造られたのも主で、すべての状況も主が支配しておられる。助けは主から来る。私たちの人生も、巡礼の旅をしているようだ。険しい山々があり、荒野があり、様々な危険にも遭遇する。

 

今、行く手を阻む困難の山があるだろうか。それは、経済的困難、健康問題、仕事のこと、対人関係、又、誰にも言えない悩みだろうか。ある人が、人に対して罪を犯してしまった。良心にとがめが来て、ずっと悶々と苦しかった。平安が無かった。その苦しみを祈りに持って行った時に、「私の助けは、どこから来るのだろうか」自分の心情と重なった。

 

「私の助けは、天地を造られた主から来る」と、主からの答えを得た。「助けは主から来る」その言葉により、心に安堵と平安が来た。そして相手に謝ろうと素直に思えた。決心して、謝罪した時に、相手は快く赦してくれ、「話してくれて有難う」と言ってくれた。今、悩み、問題があるなら、その助けは、天地を造られた主から来る。祈りに持って行こう。

 

・・・・・・・・・・・・・落ち込む時に、心が沈んでしまう。助けなど来るのだろうかと、目の前の問題は一体どうなるのだろうと不安でたまらない。しかし、「助けが来る」「主から」とはっきり言っている。必ず助けが来る。主にありのままを告げて、主の示しに従おう。