「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」Ⅰペテロ5:8

主は、十字架の時が来た事を知られ、今まで愛し導いて来た弟子たちに、「その愛を残るところなく示された」。自分の弟子たちを「極みまで愛され」「愛し通された」。それで、主は手ぬぐいを腰にまとい、弟子たちの足を洗われた。そこにユダもいた。今から裏切るであろう事を知った上で、ユダの足を洗われた。

 

ユダをも最後まで、極みまで愛し通された。ペテロも主を裏切った。3度も呪いをかけて誓い、「あんな人を知らない」と。そして裏切ったのはユダとペテロだけでなく「弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった」。弟子たちは皆、主を見捨てて一目散に逃げた。それも予めわかった上で、主は愛し通され、皆の足を洗われた。

 

そして主の死後、ユダはひどく後悔したが、主のもとへは行かず、主に頼らず自分で片をつけた。ペテロも同じく後悔したが、主のもとにとどまり、悔い改めた。他の弟子たちも復活の主のもとへ戻って来た。「ユダにサタンが入った」とあり、悪魔は勝手に入れない。ユダは悪魔の方を選んだ。徐々に心を開き受け入れた。

 

主はユダを愛されたが、ユダは主を選ばなかった。自分の思いの主と違ったのだろうか。主のそばで3年間、御言葉を聞いた。主のわざも見た。御言葉も知った上でのユダ自らの意志だった。ペテロは後に「悪魔が食い尽くすべきものを捜し求めて、歩き回っている」と。悪魔との戦いであり、目を覚まし祈っているよう警告している。

 

------------目を覚ましていなければ、すぐにサタンに心を開いてしまう、そういう危うさがある。「なぜ、眠っているのか。起きて誘惑に陥らないように祈っていなさい。」祈りで勝利しよう。