「事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」 Ⅰテサロニケ2:13

ある人が証しした「主イエスを受け入れて救われたのだが、ずっと、もう一つ神様の事がよくわからなかった。ある時、種蒔きのたとえを学んでいた時に、道ばたの土地に自分が重なり、自分の心だと気づかされた。御言葉に拒否反応はなく、学ぶ事も嫌でなく、良い事と、喜んで聞くのだが、決して御言葉を心に受け入れていなかったと。

 

「その通りにしたなら、職場でとてもじゃないがやって行けない」「御言葉はそう言うが、自分はそう思わない」「人にどう思われるだろうか」「周囲に嫌われたくない」「グレーにしておけば摩擦がなくうまく行く」・・御言葉を聞く時に、同時に別の思いが必ず来る。その肉の思いの方をずっと選択し、御言葉を捨てていた、それが、自分の心でずっと起きていた事だと理解できた。

 

種である神の言葉を受け入れないので、実を結ぶ事が無かった。聖書も神様もよくわからなかった。御言葉を捨てている事にも気づいていなかった。悔い改めて、御言葉を受け入れ、示された言葉を実行する事を始めた。その時に、自分の力では御言葉を決して行えない事、だからこそ祈るのであり、祈りが無ければ、従い得ない事を知らされて行った。

 

祈って、御霊の助けを求めて行く時に、御霊の力によって御言葉を実行できる事も経験した。御言葉を聞く時に、サタンが御言葉を奪うために、肉に働いて、スルーさせたり、人間的思いを持って来たりする。そこに気づける事が感謝だ。

 

-----------信じる者に働く神の力を体験していこう。耳で聞いて、頭で知っていても実際の問題の前では、いつも自分の経験が先立ってくる。その思いに気づき、今こそ御言葉に従う時だと受け取りなおそう。