「主をおのれの喜びとせよ」詩篇37:4

ある働き人が、地方に開拓宣教に出た。宣教は困難で、なかなか人は来ない。そんな中、宣教の働きの成果が出たら喜び、成果が無ければひどく落胆した。人が救われれば喜び、人が救われなければ、がっかりし失望落胆する。ひどく落ち込んでしまう。そんな歳月を経て、ある時気づかされた。伝道の成果で一喜一憂、大きくアップダウンし、自分はいつも不安定この上ない。

 

それは、常に成果を見つめ、成果を喜びとしているのであり、主を喜びとしているのでは無いからだと。見ているのは、成果であって、主ではない。そうではなく”与え主”を絶えず仰いで、どんな時にも主を喜んで行くなら、どのような状況の中でも、結果がどうであっても、喜びがある事を教えられた。主が与えて下さったものを、祝福を、喜ぶのでなく、与え主である主ご自身を喜んで行くからだ。

 

そして主を喜んで行くなら、もし自分の思い通りに事が運ばないとしても、そこに不満は無い。主を信じているからだ。主のご計画があることを信じ、主のしようとしておられる事がある事を信じ、万事が益になる事を信じて行くからだ。そんな中で、主は信仰を鍛え、更に信仰を強めて行って下さる。今、主を見ているだろうか、主の下さるものを見ているだろうか。

 

------------良いものは喜び、悪いもの、思い通りでないものは素直に喜べないが、それも主から来たものと知っている。主を信頼し、全て良いものしか与えられないと信仰に立とう。