「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい」創世記26:2

イサクが飢饉に会った時、周囲の人々がそうするように、エジプトへ移ろうと考えた。エジプトは食料が豊富であったから。その飢饉は、移動しなければならないほどの重大な危機だった。しかし、主は、はっきりと止められた。エジプトへは下るなと。主の示す地に住むようにと。

 

この地に滞在するなら、大いに祝福し、この地を子孫に与え、子孫は空の星のように増し加えられ、子孫によって地のすべての国々は祝福されると。大いなる祝福の約束を下さった。そしてイサクは主に言われた通りに従った。イサクがその地に種を蒔くと、何とその年に百倍の収穫を見た。非常に厳しい飢饉であった中で、やせた土壌で、百倍の実を結ぶなど考えられない、天からの奇跡のわざだ。

 

それにイサクは父アブラハムからの遊牧民だった。それが農耕をして百倍もの実を結んだ。主に言われた通りに従った結果だった。「主が彼を祝福して下さったのである」とある。私たちも見た目、常識、自分の考えでは、絶対こうした方が良いと思う事がある。

 

しかし主の御言葉、示しは全く違う方向である場合がある。 イサクがエジプトに下らず、とどまったように。そこには主の大きな祝福がある。自分の常識、自分の判断でなく、主の御声を聞いて、主の示しに従おう。その時、「主が彼を祝福してくださったのである」を経験して行く。

 

--------------飢餓の国を捨てて、豊かなエジプトに行くことは一見当たり前で、全く間違えているとは思えない。けれど唯一主の御心だろうかと、自分の正しさを捨てて、主に祈り聞いて行こう。