「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」エペソ6:11

信仰生活で、サタンの誘惑が絶えず来る。「悪魔の策略」とあり、「策略」を持って襲って来るので、常に祈りで見張っていなければやられてしまっていて気づかない。ダビデは、ダビデを妬んだサウル王に、ずっと命をつけ狙われた。何も悪い事をしていないのに、荒野を逃げ回り、いつ殺されるかわからない、死と隣り合わせの恐怖の中をさまよった。

 

そんな時、サウルを討つ千載一遇の機会が訪れた。部下は、今こそチャンス、サウルを殺す事を申し出た。今が、神の与えた時と。しかしダビデは自分の損得、都合ではなく、主の御心を第一にした。「主に油注がれた方に手を下すなど、絶対にできない」と。主が打たれるから、殺してはならないと。

 

そして、ダビデは罪を犯す事から守られた。そんなダビデが、バテシバと姦淫を犯し、サウルを何があろうと殺さなかったダビデが、バテシバの夫ウリヤを殺してしまった。部下が命がけで戦闘に出ている中、夕刻に起きて来るような怠惰な生活をし、その油断にサタンにつけ込まれてしまった。バテシバへの誘惑が来た時に、「主よ!」と助けを求めて祈れば良かった。

 

罪を犯してしまった後、悔い改めたなら、次の罪を重ねずに済んだ。サタンは策略を練って、計画を持って、巧妙に私たちの弱い所を襲って来る。相手は陥れようとして攻撃して来るので、ひとたまりも無い。敵がいる事に心して、祈りと御言葉を身にまとっていよう。主は祈りに答えて、気づきを与え守って下さる。

 

・・・・・・・・・・悪魔は、行き当たりばったりでなく、練られた緻密な策略をもって、襲って来ていることをわきまえていよう。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」と言われているように、祈っている時、悪魔の誘惑に気づかされる。