「弟子たちがイエスのところに来て言った。『それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。』」マタイ18:1

「天の御国では、だれが一番偉いのか」と弟子たちは主に質問した。弟子たちはどんな答えを予想していたのだろう。世の価値観なら、最も能力がある人、最も成果を上げた人、最も主のために労苦した人、最も良い行いに励んだ人、人の上に立つ人だろうか。その時に、主は小さい子どもを呼び、子どものようにならない限り、天の御国に入れないと。

 

子どものように、自分を低くする者が一番偉いのだと言われた。子どもの一番の特徴は無力だという事だ。子どもは自分が無力な存在だと知っている。親無しには、生きて行くことができず、食べる事も、生活する事もできない。完全に親に依存している。2才児は自分で棚の物を取れない、戸を開けられない・・何かにつけて親を呼びに行く。自分で出来ないからだ。

 

しかし大人は、自分で生きて行けると思っている。自分の力で何でも出来ると思っている。そして弟子たちは内心自分が一番でありたいと思っていた。最も重要人物でありたい。人の上に立ちたい。一番が良いとの価値観だ。弟子たちのそんな考え方を「あなたがたも悔い改めて、子どものようにならない限り、御国に入れない」と言われた。価値観、考え方が問題で、「悔い改め」、向きを変えなさいと。

 

子どものようになるとは、自らの無力を認め、自分を低くすること、へりくだることだ。実は無力を知ることこそが、最大の恵みだ。無力を知っている人は神に頼る。子どもが完全に親に頼りきって全き平安でいるように、主に頼りきって心底平安だ。無力や弱さは神と結びつく恵みだ。私たちの無力に、神の力は働く。

 

-----------子供のように父なる神に信頼しきって生きよう。子供は先々の不安を思い煩うだろうか。弱さを認め、委ねて今を喜ぼう。そして御父の導きに「はい」と素直に従いたい。