「神を信じなさい・・祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」マルコ11:22

信じて祈るなら、その通りに祈りが聞かれると、素晴らしい約束が与えられている。しかし同時に、そこには恨み事のある相手を赦す事が言われている。祈る時・・赦しなさいと。赦さない心は祈りを妨げる。神があなたを赦して下さったのだから、憎んだいる相手を赦しなさいと。

 

私たちはしょっ中、失敗する。しかし神は豊かに赦して下さっている。罪を犯さないのでなく、犯してしまうが、赦されて赦されて生きている。それゆえ、私たちも赦すべきだと。まず憎しみ、赦さない心があると、祈れなくなる。

 

主と私たちの間に、へだたりができてしまうからだ。確信もった祈りができなくなる。 あなたも経験あるだろうか。ある人が、目の前に切迫した必要があり、祈っていた。しかしどんなに祈っても答えが無い。どうしてですかと尋ね求めると、ある人に対し、赦せない、苦々しい思いを持っている事を示された。これが祈りを妨げている事がわかり、決心して、悔い改めて赦した。

 

赦すという事は決意だ。赦す決心であり、赦す事を選択する意志だ。感情に依存してたなら一生赦せない。 すると平安が満ちて、その後、見事に祈りが答えられた。豊かに祝福された。赦さない心は、祈りを遮断する。祈りの答えを得るために、隠れた恨み、赦さない心がないかどうか、御霊に探って頂こう。妨げが取り除かれる時、平安が与えられ、すでに受けたと信じる事ができ、その通りの答えを得る事になる。

 

-----------これには従えますが、これには従えませんと選り分けながら自分中心で祈っている姿を示される。罪を示されることがまず祈りの応えと、悔い改めて、悔い改めて真っ直ぐに主に祈ろう。