「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:13

ある人が、一人の同僚と難しい関係にあった。何かにつけて攻撃的で、目の敵にされているようだった。自分への言葉はきつく、他の人々への対応と明らかに違っていた。仕事上で、自分が成果を次々と上げて、上司から、周囲から賞賛されていた。それが嫌なのかも知れない。とげのある言葉や態度に傷つき、心が曇り、重苦しい日々が続いた。

 

裁く思いも出て来るし、悔い改めながら、主に助けを祈る日々だった。自分に非があるなら、教えて下さいとの祈りもしていた。ある日、余りに心重く沈み、帰りに教会へ足が向いた。そして牧師に、心の内を打ち明け、今までのあれこれを、ことごとく聞いてもらった。時間をかけ、じっくりと牧師は聞いてくれた。

 

そしてその後、「では、その相手の祝福を一緒に祈りましょう」と言われた。「え!」「はあ?」で、その言葉について行けず、祈れるわけなどないと、心の内で思った。牧師は祈りの姿勢に入り、事がどんどん進んで行く。「では、私から祈りますから、君も彼の祝福のために祈ってね」と言われた。

 

牧師が祈り終え、次が自分の番になった。ずっと心の葛藤で、「祈れません、祈れません、無理です。無理です」と心の内でうめいていた。しばらく沈黙が続いた後、ついに決意して「彼を祝福して上げて下さい」と祈った。すると御霊の平安が心に来た。心が晴れやかなになり、あんなに苦しかった事が嘘のようだった。肉と御霊がいつも目の前にあり、主に従おうとする時、選択を助けて下さる。

 

・・・・・・・・・・・・御言葉に従うことが大切と、頭ではよくわかるのだが、自我があるので、なかなか難しい。自我が邪魔をし、あらがう。しかし心の奥に平安は無い。自分には出来ない事を認め、且つ従おうとする時、御霊の助けが臨む。不思議だが出来ることを経験する。