「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです」ヨハネ12:35

ある人が、サラリーマンとして主に仕えていた。そんな時、上司から「君の昇進を強く推したが、残念だった」との言葉を聞いた。それを聞いた時に、ひどく心が動揺したのだった。サラリーマンながらもずっと自分は、主のために生きたいと願い、出世など全く関心が無いと思っていた。

 

しかしいざその場になると、動揺する自分の内に、強い野心がある事を知り愕然とした。御前に行き、その思いを主に語り祈っていた。その時に、何も無い時は、そんな欲は自分には無いと思っていた。だが光に照らされると、実は、本音では出世を求め、同僚よりも先んじたい、上に立ちたい、地位、名誉を求めている自分を見せられた。 それらをことごとく主に告げて、今一度新たに自分自身をお献げした。その時に、主からの深い平安が臨んだ。それは何にも代えられない平安だった。自分は今の場で、主を第一にして生きて行きたいと思った。するとその後、突然昇進の命を受けた。何もかもご存じの主が、心の奥を照らし、動機を聖めて下さったと感じた。

 

ある人は、教会で奉仕をしていた。主のためにと思っていたが、ある時、御霊に動機を照らされ、主のためでも何でもなく、実は人と比較し、張り合っている自分の姿を見せられた。

 

負けたくない、又、人々からの賞賛を受けたい、自分の欲望によるものだった。心底悔い改めた。 「人の内側のものと心とは、深いものです」とあり、自分で自分を知らない。御霊が光のもとに出し、本心を照らし、気づかせ、軌道修正して下さり、御心へと導いて下さる。光の中を歩んで行ける。

 

・・・・・・・・・・光が射すと、闇は消える。消滅してしまう。光は闇の中に輝き、闇は打ち勝てない。光は、心の中の闇を照らし出す。その時闇は消える。御霊の光は自分でも気づいていない、心の内を気づかせてくれる。更に平安が広がり、きよめられて行く。