「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」マタイ7:12

ある人が職場で、移動になった先で、つらい状況にあった。先輩が、自分が気に入らないのか、挨拶をしても返してもらえなかった。他の人々には気持ちよく話していて、自分だけ無視されていた。しんどいつらい状況だった。何が悪かったのかと考えるが思い当たらない。その人がしていた仕事を、上司が自分に任せたのが、嫌だったのかも知れない。

 

だが、自分はクリスチャンであり、相手がどうであれ、こちらはきちんと挨拶をし続けた。これみよがしに、自分の隣にいる同僚には親しく話しかけ、カチンと怒りが沸くが、祈りによって、何とか守られ接することができた。つらい中、この事を主のもとに持って行き、祈っていた。

 

ある時、相手の分担の仕事が、多大な時間がかかる状況になり、仕上げるのに、せっぱ詰まった状態であった。相手は非常に困っていた。到底出来そういない。その時に「自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」の御言葉が頭をよぎった。御霊の示し、強い促しを感じ、遅くまで残業をして手伝った。窮地にあった相手に、大変感謝された。 相手は良心のかしゃくを感じているようだった。その時を境に良い関係とされた。

 

祈りの答えだった。祈りに答えて主が働かれた。問題が起きた時、とにかくまず祈ろう。祈っていると、御霊が働かれ、なすべき事も示される。その時、示しに従おう。従う時にみわざを見て行く。

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相手に、周囲に反応するのでなく、どんな時にも主のお心を行ってゆけたらどんなに幸いだろう。相手が優しければ優しく、冷淡なら冷淡に、すぐ反応し、自分が寒暖計になってしまうが、反応でなく主のお心を行動して行けるよう祈ろう。主が働かれ助けて下さる。